6月2日、総社市金井戸で平安後期の国衙(こくが)跡ではないかと見て発掘調査が行われていた「御所遺跡」で現地説明会が開かれました。今回の調査で、確認されたことを総社市教育委員会文化課の武田恭彰課長補佐に聞きました。
総社市金井戸にある御所遺跡は、平成16年~20年度の国府川の改修工事に伴う発掘調査でその存在が明らかになったものです。約1ヘクタール、100メートル四方の外側に大溝を巡らした敷地跡が確認され、祭りごとに用いた井戸や政治的な儀礼で使用された土師器などが大量に発見されました。今年の4月末から行われた今回の発掘調査では、遺跡の中心的な建物があったとされる御所宮(ごしょぐう)の境内約100平方メートルを40センチから50センチに渡って掘り下げました。その結果「1183年ごろに焼失した大きな建物の跡が見つかった。800年以上守られてきた地下に眠る地元史が明らかになった」歴史ファン200人あまりが訪れた現地説明会では、巨大な建物が焼け崩れ、高熱で焼かれて赤く変色した礎石や土が確認されたと話し、平安後期の備中国を統治した国衙跡と考えられると説明しました。「出土した土師器の年代から平家物語に書かれているように当時の備中を治めていた平家方の武将妹尾兼康が源氏の木曽義仲に討たれ、建物も焼き討ちにあったと推測される」今回の発掘調査により、地元の人々が、明治時代から歴史の聖地として大切に守り続けてきた御所宮の境内は、平安時代後期の地方政治の中心地であったことが明らかになりました。また、建物は、源平合戦の時代に備中を治めていた平家の武将妹尾兼康が、源氏方の木曽義仲に敗れた際の戦禍を受けた可能性が強いこともわかりました。「総社が歴史上、最も輝いていた時代を示す遺跡が御所遺跡この歴史上大切な場所を地元の人々が守ってきたから現在につながっている」




