倉敷市文化財保護審議会は、明治17年の台風による高潮被害の犠牲者を祀る倉敷市広江の「千人塚」を史跡として重要文化財の指定答申へ向け審議しました。
倉敷考古館学術顧問の間壁忠彦さんが会長の倉敷市文化財保護審議会は、倉敷市から諮問された「千人塚」の重要文化財指定について審議しました。「千人塚」は、倉敷市広江の丘にある墓地です。明治17年(1884)の
8月25日から26日にかけての台風による暴風・高潮zで、海岸の堤防が決壊して、当時の北畝、中畝、東塚、南畝、松江の5つの村の家屋803戸が流失し、死者546人を出すという悲惨な大水害がありました。身元不明者256人を埋葬した墓地を「千人塚」と呼ぶようになり、災害から一年後に全国から寄せられた義捐金で「合葬の碑」が建立されました。また、被害の報告を受けた明治天皇からも下賜金がありこれをもとに作られた「恩賜のいの布団」2千6百枚が被災者に配られ、127年前の そのうちの1枚が今年になって市内の民家で見つかっています。倉敷市文化財保護審議会では、歴史的大水害の記録を後世に伝えることや当時迅速に行われた救済・復興への努力は、防災意識の啓蒙にもつながるとの観点から「千人塚」を史跡として倉敷市の重要文化財に指定答申することにしました。




