昭和の初め、倉敷と岡山間を走っていた「KОバス」のことをご存知でしょうか?倉敷市の中庄地区の歴史や文化を研究している「中庄の歴史を語り継ぐ会」は、KОバスが走っていたかつての鴨方往来をたどる現地調査会を開きました。
倉敷市中庄の北中学校の正門前を東西に走る道は、大正時代の国道で江戸時代には、岡山藩から鴨方へ至る鴨方往来と呼ばれていた街道でした。現在、大正時代の中庄について研究している「中庄の歴史を語り継ぐ会」は、かつての鴨方往来を乗り合いバスが走っていたことを知りました。乗り合いバスは、倉敷と岡山間19キロを結ぶ路線バスでKОバスと呼ばれていました。KОバスは、昭和12年に廃止されましたが、北中の西側の百舌鳥橋付近にバス停があったことを示す写真も見つかり、中庄の歴史を語り継ぐ会の会員は、岡山県文化財保護審議会の南智会長を案内役にKОバスが走っていた鴨方往来の面影をたどりました。なお、今回の現地調査会では、北中から、旧国道2号を経て両児神社南参道口までの鴨方往来をたどりました。




