去年12月、倉敷市児島で洋画家 伊川巌(いかわいわお)さんの一周忌を偲んで遺作展が開かれました。この遺作展を企画した実行委員長の山本悟さんに、美術教諭として学校で指導する傍ら、画家として絵筆を握り続けた伊川巌さんの人となりや画家としての生き方を聞きました。
1926年、旧久世町に生まれた伊川巌さんは、秋田県で美術教諭となりました。1958年から母親の親せきがいる縁で旧児島市へ移り、1986年に退職するまで赤崎小学校と下津井、児島、琴浦の3つの中学校で教鞭をとりました。その伊川先生から直接、絵を教わり下津井中学校での教え子でもある山本悟さんに倉敷市児島赤崎に残る伊川巌さんの自宅アトリエを案内してもらいました。2009年11月肺ガンのため83歳で亡くなった伊川巌さん。一周忌にあたり約20人の教え子たちが企画した遺作展には、1000人あまりが訪れ、伊川先生を偲びました。会場には、下津井の漁民や船大工などを描いた油絵や水彩画89点が展示されました。平和を願い、絵を描くことが好きな仲間でつくる岡山平和美術会や、日本アンデパンダン展を主催する日本美術会の会員でもあった伊川巌さんは、下津井の風景やそこに住む人物を題材にした作品を多く描いています。そして、その絵に人々の暮らしに陰を落とす公害や戦争といった社会問題や平和を願うメッセージが、なんとなく、さりげなく込められています。学校の先生でありながら「先生」と呼ばれることを好まなかった伊川巌さん。生涯独身で酒とタバコをこよなく愛し、絵筆を握り続けた生き方は、風変わりなものだったようです。しかし、それだけに美の創造へのこだわりと一貫して変わることのなかった高い意識が伝わってきます。教え子の山本悟さんは、恩師である画家「伊川巌」さんの作品を多くの人々に知ってもらう意味で、今後は、二人展を開きたいということです。




