石造物や石仏は、先人たちの思いや当時の風習などを今に伝えてくれます。総社市教育委員会が調査し、発行している「総社市の石仏③」から昭和地区の石仏その5をお送りします。
総社市の北西部日美、下倉、水内、富山の4つの地域からなる昭和地区、ここでは、1305基の石仏が確認されています。このうち灯籠は、121基を数えます。石灯籠は、もともと仏前に供える灯明台として作られたものです。平安時代のころから神社で用いられるようになり、室町時代になって堂前に左右二基を設置するようになったといわれています。昭和地区で年号が刻まれている灯籠のうち一番古いのは、水内原の八幡神社の灯籠で宝永6年(1709)次いで古いのが、下倉槻、能勢神社の石灯籠で享保16年(1731)です。また、四段もある高い台座を持つ日羽八幡神社、石段下の灯籠は、4メートル28センチで昭和地区では、地上からの高さが一番高いものです。その次に高いのは、水内影・宮地の道路沿いにある自然石の灯籠で台座を加えると4メートル17センチの高さがあります。灯籠の竿などに「金比羅宮」「金比羅大権現」などと刻まれたものは金比羅灯籠と呼ばれています。金比羅は、航海安全、豊漁祈願、豊作祈願の神として広く信仰されました。高梁川沿いにある高瀬舟の船頭集落などには、金比羅様と呼ばれる聖地があり、金比羅灯籠と船玉神を同時に祀っています。




