石造物や石仏は、先人たちの思いや当時の風習などを知る手がかりとなります。総社市教育委員会が調査し、発行している「総社市の石仏③」から昭和地区の石仏のその4をお送りします。
総社市の北西部、日美、下倉、水内、富山の4つの地域からなる昭和地区、ここでは、1305基の石仏が確認されています。その中で最も多い石仏は、地蔵菩薩です。その数は、全体の15%にあたる192基です。地蔵は、釈迦が入滅後、弥勒菩薩が出現するまでの仏が不在となる間、この世に現われて人びとを救済する菩薩とされています。平安中期以降、地蔵は、閻魔王の化身で、極楽に行けるように力を貸してくれると信じられていました。近世になって、火事や盗難、病気を防ぐなど庶民のあらゆる願いを叶えてくれる仏として信仰されました。そのため各地に地蔵の石仏が建立されました。昭和地区の地蔵の中で、最も古い年号が刻まれているのは、下倉下村の林松寺の境内にある地蔵菩薩で正徳3年(1713)です。昭和地区の地蔵菩薩で注目されるのは、白色石灰岩製のものが多いことです。白色石灰岩製の石仏は、鎌倉時代から戦国時代にかけて現在の高梁市備中町平川などで
製作されたといわれています。




