倉敷市中島出身の漢学者三島中洲の没後100年を記念した100回忌法要と講演会が開かれました。
幕末から明治、大正に活躍した漢学者三島中洲の100回忌法要は、生まれ故郷の地倉敷市中島の実際寺で営まれました。備中松山藩士山田方谷の一番弟子だった三島中洲は、現在の二松学舎大学の創立者でもあります。倉敷を代表する偉人を顕彰しようと住民有志でつくる中島学区郷土を学ぶ会がこのたびの没後100年記念事業を企画しました。
100回忌法要では、中洲が74歳の時自身の歯を埋葬した生歯の碑に手をあわせ焼香しました。
なお、100回忌法要に先立って中島小学校の体育館では、三島中洲研究の第一人者で日本漢文学を専門とする二松学者大学の町泉寿郎教授が講演しました。町教授は、明治天皇や大正天皇の教育係として漢学教育をすすめた三島中洲の人となりと業績について話しました。




