明治期を代表する倉敷市連島町出身の詩人薄田泣菫に宛てられた手紙や葉書をまとめた書簡集の第三弾が出版されました。劇作家や画家など文化人との興味深い交友関係が明らかになっています
出版にあわせて、書簡の調査研究に関わったプロジェクトチームのメンバーが、内容を説明しました。倉敷市では、薄田泣菫の遺族からおよそ1700通の書簡が寄贈され、平成25年度は作家、平成26年度は詩歌人の手紙を冊子にまとめました。平成27年度は文化人に焦点を当て、日本画家の鏑木清方、劇作家の島村抱月など明治期を中心に活躍した28人から寄せられた手紙や葉書204通を掲載しています。このうち、岡山県出身の洋画家鹿子木孟郎からの手紙は、明治28年9月のもので、最も古い書簡とされています。鹿子木の方が年齢は3つ上ですが、泣菫に対する尊敬の気持ちが文章に織り込まれています。泣菫は、中学の先輩である洋画家の満谷国四郎とも交流があり、その葉書からも、お互いの信頼関係の深さが感じられます。また、小説家・劇作家として活躍した坪内逍遥からの手紙には、泣菫の熱い友情を裏付けるエピソードの一端が読み取れるということです。プロジェクトメンバーの一人である関西大学の浦西和彦名誉教授は、今回の調査結果を振り返り「泣菫の書簡は貴重な日本の文化遺産だ」と力を込めました。今回の「文化人篇」で、書簡集の発行は一区切りとなります。今後は、書簡集の成果をもとに、作品に関する研究をさらに進めたいということです。




