明治政府が出した「神仏分離令」が地域に及ぼした影響を学ぶ講演会が14日、倉敷公民館で開かれました。
講師を務めたのは倉敷市鶴形の観龍寺住職村田隆禅さんです。神仏分離令は明治政府が慶応4年1868年に神と仏を分けるよう出した一連の通達で、これを受けて全国には仏教を排斥するいわゆる廃仏毀釈運動が広がりました。村田さんは、この時代に行われた全国の神社の祭神の交代や寺院仏閣の破壊事例を説明しました。また、観龍寺の歴史に触れ、寺が江戸時代に現在の地に移った時に鶴形山に祭っていた妙見宮は神仏分離令の流れの中で明治2年に観龍寺に引き渡され、今も寺院内で祭られていると語りました。村田さんは「決して神道を批判する狙いでなく、江戸時代までは様々な神仏が寛容され共存してきた事実を知ってほしい」と話しました。講演はシリーズで行われている備中倉敷学の一環で開かれたもので、200人を超える人が住職の話を熱心に聴いていました。




