1945年6月22日の水島空襲から、今年で69年を迎えます。倉敷市役所では、戦時中の資料を展示する「戦災のきろく展」がはじまりました。
倉敷市役所展示ホールでは、軍用飛行機が作られた水島航空機製作所の設立から、工場に爆弾が投下されるまでを、パネル写真で紹介しています。水島空襲では、 アメリカの軍用機B29が三菱重工業水島航空機製作所に603tの爆弾を落とし、工場は全壊。死者11人、重軽傷者46人の被害をもたらしました。今回は新たに、戦時中の倉敷の様子をおさめた写真が展示されています。これは、市がクラレから寄贈を受けたもので、軍直下の労働組合が美観地区を練り歩く様子や、兵隊の訓練などが写されています。そして、アメリカ軍が空中からばらまいた新聞「落下傘ニュース」は、終戦に向かう現実が記されています。このほか、水島港に軍用基地を開発しようとしていた図面も、公開されています。「戦災のきろく展」は、倉敷市役所で12日まで開かれ、その後、水島支所、ライフパーク倉敷、児島支所の順に巡回展示する予定です。




